ちもとについて

京文化とちもと

初代 中村鴈治郎のご息女が、ちもと10代目当主松井新七の元に嫁がれたご縁もあり
五代目菊五郎、初代中村吉右衛門、市川羽左衛門
をはじめとする

東西の役者さんと大正の頃より親交がございました。
南座公演の度に宴を開いて
頂いておりました。
舞台終演の花道での台詞に
「うぅ(寒さに身震い)、今宵はやけに冷えるなあー、
四条大橋向こうのちもとで一献、ぬくもるとするか…」
なんていう
洒落たアドリブもあったと、

先代が嬉しそうに話していたことを思い出します。
そんな粋な時代に役者衆が
描かれた寄せ書きは
今では屏風に姿を変え大切な家宝となっております。

日本画家の堂本印象先生、竹内栖鳳先生、冨岡鉄斎先生、三輪晁勢先生など
日本画家の巨匠にも
親しんでいただき、
数多くの作品が今も尚受け継がれております。
近年では春夏秋冬をテーマにされた絵画を北野武氏に寄贈いただいております。

また文学の方面でも、泉鏡花先生、谷崎潤一郎先生、吉井勇先生方にもご贔屓賜り、
なかでも泉鏡花先生に
於いては、
ちもとを小説「祇園物語」の舞台に取り上げていただくなど、
ひときわ御愛着を寄せていただきました。

「ちもと」の
由来と、桜

江戸の中期、ちもとは西陣の千本通りにて
産声をあげました。
現在の地には
明治初期に移転。
その際に原点である
「千本通」から
「ちもと」(千茂登)
と名付けました。
謡曲「嵐山」の
「み吉野の千本のはなの
種植えて」、
さらには歌舞伎
「義経千本桜」
にあやかって
桜をちもとのモチーフに
させて頂いており、
建物の随所に
桜が施されております。